先日開催されたビッグバレルイベントのリップカールカップ@パダン。
会場となっているのはインドネシアのバリ島に位置するワールドクラスのサーフスポットとして知られるパダンパダン。
そのパダンパダンにて、リップカールカップ開催数日前に片足が義足のサーファーがバレルに包まれるというストーリーが。
今回の記事は、義足サーファーであるファブリツィオ・バセッティによるサーフィンカムバックストーリーをお届けします。
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10代の頃はイタリア人サーファーとして将来有望であったファブリツィオ。16歳の時には国内チャンピオンシップで5位となり、翌年こそは絶対優勝と意気込んでいました。
しかし、翌年のコンテスト数か月前、バイク事故に巻き込まれ、18歳の誕生日に医師から右足が義足になると宣告されることに。
現在36歳のファブリツィオ。「あの時に今までのファブリツィオが死んで、新たなファブリツィオが誕生したんだ」と当時を振り返っています。
その後は何年にも渡りリハビリを続けたり、最適な義足を求めたりといった長い旅路が続いたものの、決してサーフィン復帰を諦めず、4年前にサーフィンを復帰するに至ります。
サーフィン復帰の地としてファブリツィオが選んだのはインドネシアのバリ島。しかも、ファーストサーフはパダンパダンというヘビーなブレイクでした。
足と義足をテープでグルグル巻きにして挑んだ一本目の波ではワイプアウトし、そのまま義足が外れてしまうという結果に。
ですが、そこで立ち止まることなく改良を加え、2か月のバリ島滞在でテイクオフからトリミングまで出来るようになり、自信を持てるようになったとか。
それから義足サーフィンの練習を重ね、2019年7月17日、およそ4年振りに訪れたパダンパダンにて4年前のリベンジとばかりに、ついにバレルに入ることに成功したのです。
義足サーファーとして大いなる一歩を踏み出したファブリツィオ。事故前は若手トップレベルだったことを考えれば、当時は当たり前のようにバレルをメイクしていたことでしょう。
そんな当たり前のことができなくなり、諦めずに再びここまで復帰できたということで、ファブリツィオ本人にとって喜びもひとしおのはず。
ですが、目標はさらに高く設定しているようです。「今回のバレルは序章に過ぎないんだ。今後も義足の安定性や柔軟性を追求していきたいと思ってる。事故前に出来ていたマニューバをメイクしたいし、いつかはエアーもね」。
今回のバレルを見る限り、今後の目標も達成するのではないかと思わせてくれますね。ファブリツィオの今後の活躍が楽しみであると同時に、こちらも負けられないとインスピレーションを受けるストーリーではないでしょうか。
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参照記事「One-Legged Surfer Scores Tube of His Life at Padang Padang」