サーフィンが2020年東京五輪で正式種目となり、オリンピックを見据えて動き出したのはサーフィンがカルチャーとして根付いた国だけに限りません。
これまではサーフィンのイメージが全くない中国もまた、1976年にプロサーフィン史上初となるワールドチャンピオン、ピーター・タウネンド「Peter Townend」(64歳)をコーチに迎え入れ、オリンピック出場に向け動き出しています。
今回の記事は、ピーター・タウネンドがコーチとなった中国サーフィンチームの結成秘話などといったストーリーをお届けします。
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ゴールドコースト(オーストラリア)で生まれ育ち、ここ40年ほどは南カリフォルニアを拠点としながら、アメリカンサーファーのコーチをしたり、メディアやメーカーなどサーフ業界全般に従事しているピーター。
そんなピーターが中国と接点を持つようになったのは、潮津波イベント「Silver Dragon Shootout」のジャッジとして2012年に訪れてからのこと。
「あるテレビ番組がコンテストに関わる私のストーリーを取り扱い、『サーフィン界のマイケル・ジョーダン』と紹介されてから、中国での地名が上がったんだ」。
IOCによりサーフィンがオリンピック競技になると発表された昨年8月、潮津波イベントのプロデュースのために中国入りしていたピーター。
すると発表の翌日、政府役人がピーターのもとへとやって来て、中国でオリンピックサーフィンプログラムを計画しているから、コーチとしての職に興味があれば履歴書を送ってくれないかと打診があったと言います。
「実は複数の候補者がいたみたいなんだけど、当局は私の初代ワールドチャンピオンという肩書が気に入ったみたいだね」。
今年3月、サーフィンチームを作るために中国へと飛んだピーター。中国ではサーフィンの歴史は浅く、第一世代と呼ばれるサーファーでさえサーフィン歴としては10年ほど。サーフィンの中心地は海南島だそうです。
そこで海南島を訪れ、まずは通訳兼アシスタントコーチとして第一世代サーファーであるパブロ・ファン、サーフィン歴がメンバーで最も長い10年を誇る14歳のアレックス・チュウをチームに迎え入れました。
二人だけではチームとして成り立たないものの、サーファーの数自体が圧倒的に少ない中国。そこでピーターがスカウトのために向かったのが、ジョークのようですが政府運営のスイミングアカデミー。
同アカデミーでサーフィンに興味ある子を選び、スケートボードやサーフィンのテストをして才能のありそうな子を6名ピックアップし「今日から君たちはスイマーじゃなくサーファーだ」と一言。
まさに、映画「クール・ランニング」そのものといった破天荒なストーリーではないでしょうか。
そんなこんなで誕生した中国サーフィンチームは、5月のISAイベントに出場したり、今夏は南カリフォルニアで二週間の合宿を行ったと言います。
また、アイウェアブランド「Electric」オーナーのエリック・クレーンは、無謀な挑戦に挑んでいるように思える姿勢に興味を覚え、中国チームのスポンサーになっています。
オリンピックの選考方法については明らかになっていないものの、CTやQSといったコンテストシーンを考えてみれば、中国チームのサーファーがオリンピック出場の資格を得られるとは思えません。
しかし、東京五輪後のオリンピックでもサーフィンが開催となれば、可能性は無きにしも非ずではないでしょうか。
サーフトレーニングの秘密兵器と言えるウェイブプールを中国に作って活用すれば、スキルアップのスピードは格段と上昇しますし。
「難題ではあるけど、素晴らしいチャレンジだよ。来年で私は65歳。おそらく最後の挑戦だね」と口にするピーター。
中国において、ピーターがサーフィンと言うスポーツの種をどのように芽吹かせるのか注目です。
*カリフォルニアでの合宿風景
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参照記事:「Why an Aussie legend has Chinese surfers catching California waves」