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Photo: WSL / STEVE SHERMAN

今シーズン途中から黒人初のCT(チャンピオンシップツアー)サーファーとなった南アフリカ出身のマイケル・フェブラリー「Michael February」(24歳)。

昨シーズンのQSにて1ランク差でワールドツアー入りを逃したものの、ミック・ファニングの引退により晴れてCTサーファーとなりました。

今回の記事は、CT初の黒人サーファーとなったマイケル・フェブラリーの生い立ちといったプロファイルに関する内容をお届けします。


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「February(日本語で2月の意味)」という苗字は、祖先が奴隷に選ばれた月に由来すると言うマイケル。「しっかりリサーチしたわけじゃないけど、南アフリカの有色人種の多くは苗字に月が使われてるから明らか」だそうです。

そんなマイケルが育った南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されたのは1994年。マイケルが1歳の時の事でしたが、地域レベルで見ればキレイさっぱり廃止されたわけではなさそうです。

マイケルが生まれたのは南アフリカのウッドストックと呼ばれるエリア。マイケルいわく「底辺ってほどのエリアじゃなかったけど、監視無しでウッドストックを出ることはできなかった」とのこと。

アパルトヘイト時代に育ったマイケルの父、アイザックに至っては黒人がサーフ可能なエリアが決められていて、ルールを破って禁止エリアで思わず入って見るとローカルに囲まれて追い出された過去があるとか。

10歳になるとサーフィン好きなマイケルのことを思った両親により、家族はウッドストックから45分離れた「コメキー」というファンウェイブがブレイクするエリアへと引っ越すことに。

差別に話を戻すとマイケルは父親ほどの体験はないものの、12~13歳頃にサーフコンテストの景品で手に入れたカメラ付き携帯電話で友達とショッピングモールで遊んでいると、盗んだと思いこんだセキュリティに携帯電話を奪われてモールから追い出された経験があるとのこと。

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Photo: WSL / MASUREL

理不尽な経験などもあるマイケルなので、「サーフィンで世の中を見返そう」との思いがあるのかと思いきや、メローかつ謙虚な性格であり、コンテストでもガツガツしたタイプではありません。

「多くのサーファーがコンテストに相当真剣になってエゴを持たない限り、結果を残せないって考えてる。でも、僕は違ってヒートであっても楽しもうって気持ちなんだ」。

「出来るだけクリエイティブに自分のサーフィンを表現して、見てくれる人に興味深いって思ってもらえるよう意識してサーフィンしてる」。

その言葉通り、CTイベントで見せるマイケルのサーフィンは、コンテストサーフィンと言うよりもスタイルマスターに似通ったサーフスタイルが特徴的です。

「自分では痩せて長い手足の僕のサーフィンをイケてるとは思ってなかったけど、周りの評価は違ったんだ。それで、見た目を気にせずに自分が気持ち良いサーフィンをするようになった」。

ミックの引退に加え、ケリー・スレーターの欠場により今季はフル参戦となっているマイケルの現CTランクは26位。

CT初の黒人サーファーであり、アプローチの異なるマイケルのサーフィンがワールドツアーという舞台でどのような結果を残すのか今季の楽しみの一つになることでしょう。

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参照記事:「A Profile In Color: A Portrait Of Michael February